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喜寿の正月のお年玉

昨年の年末年始は、妻が心不全の症状で、渓仁会の循環器科に入院、退院が遅れて、妻不在の年末年始で、心なしか皆寂しい正月でした。


 今年は、元旦出勤の孫娘一人を除いて、私ども夫婦、子供家族4所帯、孫1所帯合計30人が狭い我が家に集まりました。

 一人来れなかった孫娘は、高校時代はバドミントンでは、道代表クラスで活躍し、学業も学年トップクラスと聞いていました。当然大学に進学するものと思っていました。何故か、早々に就職の道を進み、社会人になりました。初孫で、私の仕事の後継者となる次男夫婦が短い間、我が家で同居していたときに誕生した。

妻が手元でかわいがったのですが、私と息子にとって、会社の経営が一番厳しかった最中だったので、それを察しての選択だったかと思う。いまでも心が痛むのです。


 さて、今年のお正月の「お年玉」に二つの出来事、変化がありました。一つは、社会人になった孫二人が幼い子供たちにお年玉の袋を配り始めたことです。

毎年、元旦の朝、「雑煮」を食べに、前夜に続き集まってくるのですが、朝食の後こどもたちの待ちに待った「お年玉配り大会」が始まります。


先ず、長男から始まり、次男、三男、長女がそれぞれ用意したポチ袋を取り出して、それぞれ配り終えました。一人ずつ4枚の袋を手にします。

そこに、一番年上の長男の息子が立ち上がり「俺も配るから」と言う。「おおっ」と歓声が上がります。皆、小躍りして喜ぶ。妻は、涙ぐむ。


続けて「俺も出す」と、長女の息子が、ポケットに用意していたポチ袋を出す。今度は孫の親たちから「おおっ」と感嘆の声が上がり、長女が涙を拭く。

泣きべそかきながら学校に行き、野球少年団でもぐずぐず泣いてバットを振リきれなかった孫が、ここまで来たかと私の胸を熱くさせた。


さて、私が配る番が来た。「今年はお年玉改革をします。年功序列を廃止しました」と宣言。皆、何のことかとあっけにとられています。

25人分の「お年玉袋」を何もないじゅうたんの上にキチンと並べました。宛名は無い。八段階の金額に差を付けて袋に入れたことを述べ、誰にどの金額が行くかは「今年の運の始まり」と、私は前夜の酒が少し残っていて訳の分からないことを言う。


昨晩の大晦日の「積み木競争選手権」のトーナメント表の名前の左側から読み上げ、一人ひとりに自由に引かせました。

配り終えて、一声に封を切らせる。

歓声がしばらく鳴りやみません。小さいほうの孫たちが次々と「おじいちゃん有難う!!」と駆け寄ってくる。期待通りの効果だ。私は、ただ一人満足、ニンマリ笑いをこらえる。

来年はどんな工夫をしようか。今からドキドキである。


令和6年1月6日




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