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執筆者の写真公彦 漆

喜寿から傘寿のはざま

私の年齢の話で恐縮です。社の伊藤さんが、私の誕生祝に写真をくれました。まだ働けよと言う「押し」の気持ちに気をよくしています。

「死ぬまで現役」をかなり昔から、親、兄弟、子供、孫、仕事仲間にいつも話して来ましたし、今もその気持ちは変わっていない。まだまだ現役でいたいとの気持ちが強い。

 ネットで調べましたら、前年77歳は喜寿、次は80歳で傘寿、88歳は米寿、90歳は卒寿。99歳が白寿と、日本人は言葉遊びで老人に長寿を祝う気持ちをあらわして来ました。

 しかし、100歳は何というかは、私は知らなかったが、紀寿、百寿と漢字の駄洒落ではない純粋に敬意を込めた表現になっている。

 私の母は、104歳で亡くなりました。今年7回忌を迎えましたので、10年前に紀寿を通過したことになります。

 その時は、内閣総理大臣安倍晋三さんから立派な賞状と金杯が届きました。その時はまだ、足腰しっかりで、私に「健康に生きるよう」説教などしていました。

 つい10年前とはいえ、100歳まで生きることは本当に珍しく、国も国民も祝福に値すると考えたのでしょう。

 今はもう、100歳まで生きることは、珍しいことではなくなり、ニュースに取り上げられることもない。

最近の100歳の誕生を迎える方には、内閣総理大臣から賞状も金杯も来てないと聞きます。本当なのでしょうか。ここまでは、ネットで調べがついていない。

実は私も20年後は、だれも珍しくもない100歳まで生きると信じている。何故か、祖父は82歳、おやじは90歳まで生きた。生みの親は104歳だから、私も長寿と確信している。あと22年、100歳で見る家族、日本や世界の姿を想像すると夢あり、恐ろしさもありだ。


添付の写真は、先月石狩リフォームフェスタに出店した際の弊社展示ブースでのポーズです。これは伊藤さんが、私の心境を読み取ってカシャッと撮った一瞬で、感動の一枚でした。

これを、ブログに載せて、先ずは傘寿までの2年間を次の一里塚に、あゆみを止めない決意で行きたいと思う。


令和6年4月1日



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